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本編

2

 葬儀から三日後、大塚と三崎は広域指定暴力団桐生会の会長桐生孝義の屋敷に来ていた。
 屋敷は純和風の平屋建で、通された客間も和室だった。
 縁側に面した障子窓から柔らかな陽光が入ってきている。梅雨の合間の晴れ間だった。

「で、千尋坊ちゃんの様子はどうなんだ?」
 孝義が来るのを待っていると、三崎の隣に座る大塚が言った。
「落ち着いてますよ。学校にも行ってるみたいですし」
「そりゃ、よかった」
 大塚がスキンヘッドをぺかりとなでて言った。

「三崎、お前千尋坊ちゃんとちゃんとコミュニケーション取れてるのか?」
「ええ」
 三崎は頷いた。
 千尋が感情的になったのは、母優子が死んだ直後と葬儀に孝義が来た時だけだった。それ以外は淡々とした様子で三崎に接していた。

「なら、いいんだけどよ。千尋坊ちゃん、今は、優子ちゃんと暮らしてたアパートに一人暮らしなんだろう? このまま桐生会の会長の孫を一人暮らしさせとくわけにも行かないし、これからどうするんだ?」
「それを話し合うために二人を呼んだんだ」
 別の声が割って入る。障子が開いて着流し姿の孝義が入ってきた。
 大塚と三崎は慌てて頭を下げた。

 孝義が床の間を背に腰掛ける。若衆の一人が茶を持ってくるのを待って、孝義は口を開いた。
「三崎、坊主の様子はどうなんだ?」
「落ち着いています」
 大塚に返したのと同じことを言った。
 腕を組んでうむと孝義が頷いた。

「三崎、優子から連絡があってからお前には世話かけたな」
 孝義が言った。
「いいえ」
 首を振って三崎は応えた。

 病気が発覚して、優子が真っ先に連絡を取ったのが、大塚だった。そこから孝義に連絡が行き、孝義が優子と千尋の面倒を見ることになったのだが、二人の世話係に任命されたのが、大塚が組長を務める桐生会二次団体大塚組若頭の三崎だった。
「坊主の今後のことだが、暴力団の総本山みたいなこの家に引き取るのは正直迷ってる」
 孝義が言った。
「そうですね」
 それに大塚が頷いた。
 葬儀の時の千尋の様子を思えば、二人がそう思うのも全くだと三崎は思った。

「かと言って、今の家に一人暮らしさせとくわけにも行かないでしょう?」
 大塚の言葉にうむと孝義は頷き、口を開いた。
「全寮制の高校に転入させるって手もないわけじゃないが……」
「千尋ぼっちゃん、厄介払いされたと思うかもしれませんね」
 大塚の言葉にうむと孝義が頷いた。
「いっそ誰か信頼できる人物に預けてはどうですか?」
「信頼できる人物なぁ」
 大塚の提案に、孝義が渋面をして考え込んだ。

「可愛い孫息子だ。手元に置いておきたいと言うのが会長の本心でしょうが、千尋坊ちゃんの気持ちを考えるとそれが一番いいと思いやすぜ」
「それはそうだが……」
 孝義が悩む。
 大塚が三崎のことを見て、ぱっと笑顔になった。
「そうだこいつはどうです? こいつだったら信用できるでしょう」
 大塚が三崎のことを指差して言った。

「私、ですか?」
 孝義が三崎のことを見る。
「元々優子ちゃんと千尋坊ちゃんの世話係だったんだ。このまま続けたって問題ないでしょう」
「うーん」
 大塚の言葉に孝義が唸った。
「こいつ以上に適任はいないと思いますぜ」
 大塚が三崎の背を叩いた。
 
 孝義はしばらく思案して、
「そうだな。三崎、頼めるか」
 と言った。
 上の言うことには逆らえない。
「はい」
 三崎は頷いた。

「そうと決まれば、後は学校のことですね」
 大塚が言った。
「千尋坊ちゃんが行ってるのって公立だろう? 県が変わるからお前ん家からだと、学区外になって通えなくなるだろう?」
「そうですね」
 大塚の言葉に三崎は頷いた。

「学校のレベルはちょっと落ちるが、転校先に鳳学園なんてどうだ。理事に知り合いがいるから話は通しとけるし、甥っ子も通ってる。いい友達になれると思うぜ」
 転校するのは仕方ないとして、本人の意志を確認せず、勝手に決めてしまっていいものかと三崎は悩む。
「そうだな。三崎、それで進めてくれないか」
「はい」
 孝義に言われ、頷くしかなかった。

「三崎、悪かったな」
 客間を出て、廊下を歩いていると大塚が言った。
「何がです?」
「千尋坊ちゃんのこと押し付けるみたいになっちまって。昔のことがあって、会長も俺も優子ちゃんとどう接したらいいか悩んでるうちに優子ちゃんが死んじまって……。千尋坊ちゃんはあんな調子だし、千尋坊ちゃんにどう接したらいいか正直わかんねぇんだ」
 スキンヘッドの後頭部を掻いて大塚が言った。

「千尋さんの世話係を続けることについては何とも思ってません。それより昔、何があったんですか?」
「平澤会が英嗣坊ちゃんを人質にして殺したんだよ」
「英嗣坊ちゃん?」
「会長の一人息子で、千尋坊ちゃんの父親。英嗣坊ちゃんは堅気だったんだが、平澤会と抗争をやってる時に巻き込まれてな。それで英嗣坊ちゃんの四十九日が終わった後、英嗣坊ちゃんの嫁だった優子ちゃんは極道とはもう関わりたくないって言って、会長との縁を切ったんだ」

「それなのになぜ優子さんは、病気が分かってから自分の実家ではなく、オヤジに連絡してきたんですか?」
「優子ちゃんの実家どこだか知ってるか?」
「いいえ」
 三崎は首を振った。

「川島グループなんだよ」
「川島グループ……」
 川島グループとは金融から建築土木、不動産、他にも幅広く事業を展開する日本を代表するグループだった。

「優子ちゃん、英嗣坊ちゃんとの結婚、実家から反対されてな、優子ちゃんの実家からみれば駆け落ち同然で結婚したんだ。そんなわけだから、実家を頼れば、自分が死んだ後千尋坊ちゃんがどんな扱いをされるか分からない。会長は千尋坊ちゃんが生まれた時喜んでたし、悪いようにしないって確信があったんだろう。だけど縁を切るって言った手前、会長に直接連絡はし辛くて、俺に連絡してきたんだろうな。千尋坊ちゃんを預かるって決まったんだったら、昔のことお前も知っといた方がいいだろうと思って話した。今更特に何もないと思うが、万が一のことがある。川島グループの動きには気をつけろよ」
「はい」三崎は頷いてから質問する。「千尋さんはそのことをご存じなんですか?」

「さあな。でも優子ちゃん千尋坊ちゃんには何も話してないと俺は思うぜ」
「なぜ?」
「さっきも言ったろう。英嗣坊ちゃんと優子ちゃんの結婚、優子ちゃんの実家から見れば駆け落ち同然だったって。優子ちゃんが千尋坊ちゃんに飛び出したはずの実家のこと話してるとは思えないな。気になるなら千尋坊ちゃんに直接訊いてみればいいだろう」
「そうですね」
 三崎は頷いた。

 その後、たわいもない話をしながら車寄せに行くと、桐生会傘下の田沼組組長田沼亮二と出会した。
「よお」
 片手を上げ、田沼が気安く声をかけてきた。

「アニキ、お久しぶりです」
 大塚が応えた。
「二人そろって来るって珍しいな。どうしたんだ?」
「千尋坊ちゃんのことで話があって」
「千尋坊ちゃんか……、優子ちゃん亡くなったんだって」
「ええ」
「そうか」田沼が空を仰いで言った。「まだ若かったのにな。がんだって?」
「ええ」
 大塚が頷いた。

「それはそうと、東山の奴が会長の跡目狙ってるって聞いたか?」
「いいえ」
 大塚が首を振った。
 孝義は高齢のため引退を考えていたが、跡目が決まらず延び延びになっていた。
「まあ、噂だけどな。手段を選ばないやつだ。千尋坊ちゃんが利用されないように気をつけろよ」
「はい」
 大塚が頷いた。
「じゃあな」
 田沼は手を振って屋敷の中に入って行った。
 それを見送りながら、三崎は小さくため息をついた。

「どうした」
 それを大塚に見咎められる。
「いえ、世話係、思った以上に重役だと思って」
「あはは、まあ頑張れよ」
 大塚が無責任に肩を叩いた。
 その後、大塚と一緒に車に乗って組事務所まで戻り、自分の車に乗り換えると、三崎は千尋の家まで向かった。

 近くのコインパークに車を止め、路地に入る。少し行ったところに、そのアパートはあった。
 アパートは木造二階建てで、強い風が吹いたら崩れてしまうのではないかと不安になるほど古びていた。踏みしめるたびギシギシと鳴る階段を登って二階に行く。三部屋並んだ一番奥が、千尋の家だった。

 ブザーを鳴らすと中で物音がして、扉が開いた。

「三崎さん」
 千尋が顔を覗かせて言った。
「少し話があって。入ってもいいですか?」
「ああ」
 千尋が頷いた。

 通い慣れた家は、いつもと変わらず片付いていた。
 小さな台所と続きになった四畳と六畳の座敷がある。
 いつもと違うのは部屋の奥に祭壇のが置かれていることだった。
 三崎は六畳の部屋に置いてあるちゃぶ台の前に座った。
 お茶でも入れるつもりだろう。千尋は台所で湯を沸かしている。しばらく待っていると、千尋が盆に茶を乗せて現れた。

「はい」
 と言って、三崎と自分の前に湯呑みを置いて千尋は座った。

「それで話って?」
「はい」三崎は頷いて大きく息を吸った。「貴方の今後のことについてです」
「今後のこと?」
「桐生会会長の孫息子をこんな家で一人暮らしさせるわけにはいきませんから」
「じいさんが引き取るって」

「いいえ」三崎は首を振った。「私が千尋さんを引き取るってことになりました」
「はっ、じいさん俺みたいな暴力的なヤツとは暮らせないって?」
「違います。桐生家は暴力団の総本山のようなものです。そこで暮らすとなったら、環境が変わりすぎて貴方が落ち着かないでしょう。だから私が引き取ることになりました」
「ふーん、そう」
 千尋が両手を湯呑みにそえ、うつむいた。

「いいよ、三崎さん気つかわなくても。葬式の時のあの態度、俺だったら一緒に暮らすのは無理だって思うもん」
「そういうわけでは……」
「俺だって分かってるんだ、全部八つ当たりだってこと。八つ当たりしたところで母さんが還ってこないことも分かってる。だけどあの時はどうしたらいいか分からなくて、じいさんに当たっちまった。じいさんの顔見たらまた当たらずにはいられないと思う。だから、三崎さんのとこで暮らすのが一番だと思う。三崎さんには迷惑かけるけど」
「いいえ。迷惑では」
「いいよ、無理しないで。上に言われたら逆らえないのがアンタたちの社会(せかい)だろう? なるべく三崎さんには迷惑かけないようにする」
 言って、千尋は茶を一口飲んだ。

「それから学校のことですが、転校してもらうことになります。今、転校先として考えているのは、鳳学園です」
「鳳学園?」
 千尋が首を傾げた。
「都内の進学校です。今の学校よりレベルは少し落ちますが、落ち着いたいい学校ですよ。編入試験の日が決まったらまた連絡します。引っ越しの日取りも決まり次第連絡しますね。荷物は最小限で大丈夫です。部屋に置いて行ったものは後で処分しますから」
「わかった」
 うつむいて、千尋が小さく言った。

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