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第二章
1
舞い散る花びら、沿道に面した窓から投げられる色鮮やかな花花。
二階以上の窓からは、人人が身を乗り出し、下を行く帝国軍に歓声を浴びせる。
帝都の目抜き通りの両脇には、大勢の人たちが集まり、満面の笑みで帰ってきた兵士たちに手をふる。
帝都に入ると、市民の大歓迎を受けた。
馬上のマリウスはにこやかに笑い、それに応える。
隣を行くバシュレ侯爵は、沿道に集まる人人に手をふって、それに応えていた。
「いやはや、それにしても」
手をふるのに疲れたのか、バシュレ侯爵は両手で手綱を持ち直し、マリウスに話しかけてくる。
「今回は、陛下からの恩賞も期待できますな」
「ええ」
マリウスは曖昧にうなずいた。
バシュレ侯爵とマリウスは、一番にダナティア城下に攻め入った。交戦のきっかけをつくった二人の功績は大きい。一番に敵陣に攻め入った者は多大な戦功を認められ、多くの恩賞が与えられるのが常だった。
「にしては浮かぬ顔ですな、オードラン公爵」
「そうですか?」
マリウスは首を傾げてほほ笑む。
「だが憂い顔は、黄金の獅子と呼ばれる貴方様には似合いませぬぞ」
バシュレ侯爵は、腹の底から陽気な声を出して笑った。
黄金の獅子とは、緩く弧を描きながら、うなじを隠して肩まで流れる明るい色の金髪と、領土拡大のため戦を続けるダルバード帝国に属する将たちの中でも、特に武勲目覚ましいことから、マリウスにつけられた渾名である。マリウス自身は嫌っているのだが、陰で嫉妬やねたみをこめて、またマリウスのことを褒めそやすとき時、人人はそう呼ぶ。
「それはさてと、公爵様が気になされているのは、ジブリアン殿下とダナーンの王女殿下のことですかな」
「ええ、まあ」
マリウスは首を回して後ろを見た。
帝都に入城する帝国軍の列は、ずっと後ろまで続いている。マリウスは、凱旋する帝国軍の行列の先頭付近にいた。大門から宮殿まで真っ直ぐに続く道を中ほどまで進んだが、行列の後部にいる兵ははまだ、入門すらできていないだろう。
ダナティアから連れてきた王女と、彼女に仕える侍女の乗る荷馬車は、ずっと後ろにある。
今、マリウスの頭の中にあるのは、日日想いを深めあっていくジブリアンとダナーンの王女のことを、不安そうに見つめていた少女のことだけだった。
「たしかに、今までの陛下のなさりようを見ていると、ダナーンの王女殿下とジブリアン様のことをお許しになるとは思えませぬな」
「卿もそう思いますか」
「陛下は常に、攻め入った国の王族は根絶やしにされてきました。姫であれば、愛妾として後宮に召し上げられたこともございますが、臣下に下されたことは一度もございません。滅ぼされた国の血が残れば、後に禍根を残すこととなります。陛下のなされようは最もです。今回ばかりが例外とは言えないでしょうな」
「ええ」
主と引き離された時、命がけで主の名誉を守ろうとしたあの少女はどうなるのか。マリウスの心配はそれだけだった。
ダルバード帝国の宮殿につき、荷馬車がとまると、すぐさま荷馬車の後ろに四人の兵が寄ってきた。彼ら乱暴に荷馬車を下ろされ、シリアナとクローディアは、宮殿の奥まった場所にある塔に連れて行かれた。
両脇を兵士二人がかりで拘束され、長い螺旋階段を登る。次第に息が上がり、階段を登る脚が重くなってくる。最後は兵士に引きずられるようにして、階段を登りきる。
シリアナは顔を上げる。踊り場のように、少し広くなった場所にいた。
シリアナの前には、シリアナとと同じように、両脇を固める兵士に二の腕掴まれたクローディアがいた。
クローディアの向こうに、分厚そうなオークの両開きの扉と、その前に槍を持って立つ二人の兵士が見えた。
「バレ王家の生き残りを連れてきた」
クローディアの右脇にいる男が言った。
扉の前の兵たちは、はっと短く応え、閂を外して扉を開ける。
クローディアとシリアナは部屋の中に連れて行かれ、その場に投げ出される。
思わず数歩、勢い余って前に歩を進め、堪えきれずに二人同時に転ぶ。
クローディアが、きゃっと悲鳴を上げた。
「姫様」
急いで膝で進み、クローディアの側に寄る。
「お怪我はございませんか」
シリアナはクローディアの様子を確認し、伏したままになっているクローディアの体を抱え起こす。
シリアナの後ろで、扉が閉められ閂のはめられる音がした。
その音にクローディアがふり返る。
彼女はぱっと立ち上がると、扉の前まで駆けて行き、思い切り扉をたたいた。
「ここから出しなさい!!」
頑丈なオークの扉はびくともしない。扉の向こう側から応えはなかった。
「姫様、怪我をなさいます」
シリアナはクローディアの斜め後ろ立って、クローディアの手首をつかんだ。
クローディアは動きを止めてふり返る。鳶色の瞳は涙で潤んでいた。
「でもシリアナ、ジブリアン様は、私を妻に迎えるって、おしゃってくださったのよ……」
「きっとすぐにそうなります」
シリアナはクローディアの肩をつかみ、自分の方へ向き直らせる。
クローディアはシリアナに抱きつき、頭をシリアナの肩に預けて、わっと泣き出した。
シリアナはクローディアの体を抱きとめると、なだめるようにその華奢な背中をたたいた。
クローディアは泣くがままにし、首を巡らせ部屋の中を見まわす。
鉄格子のはまった窓の下に、人が一人寝るのがやっとの広さの粗末な寝台が置かれている。
その横に、背の低い荒木の卓子と、古びた布張りの長椅子が置かれていた。
窮屈だが、毛布を巻きつけて、肘かけを枕に、膝を小さく折り曲げれば、長椅子の上で眠れるだろう。
幽閉の身には変わりないが、連れてこられたのが、日の光の当たらない、じめじめと湿った地下牢ではなくてよかったと、シリアナは思った。
帝都に凱旋してから数日後、主だった家臣とダナーン攻めに参加した将たちが、謁見の間に勢ぞろいしていた。
「バシュレ侯爵、オードラン公爵前へ」
皇帝の座る玉座の隣に立った侍従長が呼ぶ。
隣り合って立つ二人は互いに顔を見合わせ、数歩前に進むと、玉座の前で膝をついた。
「卿らのこたびの働き見事であった」
皇帝の、低く朗朗とした声が、謁見の間に重重しく響く。
マリウスは身を引き締め、バシュレと共に、ありがたきお言葉、と返答した。
侍従長、と皇帝は促した。侍従長は手にしていた羊皮紙の巻物開き、読み上げる。
「オードラン公爵、そなたは果敢にも一番にダナティアに攻め込んだ。また城門を一番に突破したバシュレ侯爵の働きがなければ、オードラン公爵の勇敢な働きも徒労に終わっただろう。よって両名に褒美を取らせる。望みの品があるのであれば、この場で申すがよい」
マリウスは隣のバシュレを見て、先に言うよう無言で促した。バシュレ侯爵は、陛下より直接お言葉をいただけましただけでも幸いです。それ以上を望むとは恐れ多いこと、と言って、丁重に固辞した。
後日、陛下より沙汰があるだろうと侍従長が言う。
今日は、ダナティア攻めの労をねぎらうためと、主だった家臣たちが宮殿に集められた。
この場で一番に呼ばれたとは、ダナティア攻めについて、一番の功労者だと認められているということだ。多くの兵はまだダナーンに残り、今回新たに得た領地の支配権を確固たるものとするため、ダナーン各地に散らばった貴族たちの一掃に努力している。ダナーン攻めについて、事後処理はしばらく続くが、落ちついた頃に、バシュレとマリウスには、それなりの恩賞が与えられることは確実だった。
「オードラン公爵はいかがか」
侍従長が、マリウスに声をかける。
マリウスは、はっと短く返事をして言葉を続けた。
「お許しをいただけますなら、本日は陛下に一つお願いがございます」
皇帝が侍従長に耳打ちする。侍従長は、許すと皇帝の応えを伝えてくる。
「今、北の塔に幽閉されているバレ王家の姫に仕える侍女を、私の妻としていただけないでしょうか」
広間の中がざわめいた。
隣り合う人人は互いに視線を交わし、なぜ、と疑問を口にする。
兄が死に、オードラン公爵家の当主に納まってから六年。周囲はしきりに結婚を勧めてきたが、マリウスが首を縦に振ることは一度もなかった。
皇帝は脚を組むと肘かけに片肘をつき、握った手の上に顎を載せて少し考える。
「近頃便りがないが、コレットは息災か」
皇帝直直に訊ねられる。コレットとは亡くなった兄クロヴィスの妻であり、皇帝の愛娘だ。兄が亡くなって以来、兄の忘れ形見のエリクと共に、オードラン公爵領で静かに暮らしている。
「はい。義姉上は我が領地で、私の甥エリクとともに穏やかに過ごされていらっしゃいます」
「ならばよい。そなたの申し出を許そう。ただし条件がある。そなたの婚儀に先立ち、甥のエリクをそなたの養子とし、オードラン公爵家の正式な跡取りと定めること。よいか」
「我が願いをお許しいただき、感謝いたします。承知いたしました」
マリウスはその場に深く頭を下げた。
「それはそうとジブリアン、ダナティア攻めの時、そなたは何をしておった」
マリウスとバシュレのことはそのままに、皇帝は臣下の列の中にいる自らの息子に呼びかけた。
ジブリアンはびくりと体を揺らす。
「聞いたところによると、多くの兵が命を懸けて戦う中、安全な天幕の中に大人しく引きこもっていたそうだな」
ジブリアンはうつむき、もごもごとと口を開く。
「――総大将がいなくなれば、軍勢は一気に乱れます。それに、戦の最中には総大将の指揮が必要になることもございます。その為私は、天幕の中に……」
「黙れ」
皇帝が一喝する。
「ダナティア攻めの作戦も、ここにいるオードラン公爵とバシュレ侯爵が立てたものだというではないか。そんなそなたに何ができると言う。挙句、バレ王家の生き残りの小娘に熱を上げおって。小娘がそなたを籠絡し、帝国に仇なさんと企てていたらどうする」
「父上、そのようなことはございません。クローディアは素直で心優しい女性です。私と愛を誓い合い、共に生きると約束してくれました」
「馬鹿が。それが女の手口だとどうしてわからぬ。だが、バレ王家の生き残りの小娘は、可憐で美しい女だと聞いた。そなたが心乱されるのもわからぬわけではない」
「では父上、私とクローディアの結婚を許して下さるのですか」
ジブリアンがはっと顔を上げる。その顔には、期待と不安に満ちた笑みが浮かんでいた。
息子の問いを、皇帝はふん、と鼻で笑った。
「愛だの恋だの夢に現つをぬかす軟弱者が。そなたには、宮殿の奥で黴臭い書物と向き合って、日がな一日無為に時を過ごすのが似合っておる」
「お言葉ですが父上、書物には過去から現在、多くの偉人や賢者の言葉や考えてが記されております。それを読み理解することで思索が深まる。書物に親しむことが無駄なことだとは、納得できません」
「ではなぜそなたには、わしが与えた軍勢を指揮することができぬ。書物が思索を深めると言うのであれば、軍勢の一つや二つ臣下に任せずとも指揮できるであろう。現実に活かせぬ知識など何の役に立つ」
「学問とは、実際に役立つだけのものでは……」
「黙れ。ここにいるオードラン公爵とバシュレ侯爵が書物に親しんでいないとでもいうのか? そなたの言う学問に無知であると?」
「――それは……」
ジブリアンが言いよどむ。マリウスとバシュレの二人は共に、帝都から程遠くない、喧騒から離れた郊外に居を構える、現代の大学者と呼ばれるバルテレミーの主催する教室へ出入りすることが認められていた。
「そなたの言う学問などその程度のものよ。何の役にも立たぬ。役に立たぬなら立たぬでよいが、それをあたかも役立つものかのように吹聴するでない」
皇帝は脚を組み直し、両肘を肘かけの上に載せると、組んだ両手の上に顎を置いた。
「まあ、よい。幸いこの国には有能は臣下もいる。お前が高尚な趣味にふけっている間、国のことは彼らに任せておけばいいだろう。それより、バレ王家の生き残りの小娘は美しいそうだな。わしの側室としよう」
「父上、それだけはおやめください!!」
ジブリアンは叫び、よろよろと前に足を踏み出す。
「誰か、連れて行け」
皇帝が言うと、壁際に控えていた衛兵がさっと前に出て、ジブリアンに駆け寄り、ジブリアンのことを両脇から拘束した。
「父上、どうかお願いです。お考え直しください」
衛兵に引きずられて謁見の間を後にしながら、ジブリアンは必死で叫んでいた。
舞い散る花びら、沿道に面した窓から投げられる色鮮やかな花花。
二階以上の窓からは、人人が身を乗り出し、下を行く帝国軍に歓声を浴びせる。
帝都の目抜き通りの両脇には、大勢の人たちが集まり、満面の笑みで帰ってきた兵士たちに手をふる。
帝都に入ると、市民の大歓迎を受けた。
馬上のマリウスはにこやかに笑い、それに応える。
隣を行くバシュレ侯爵は、沿道に集まる人人に手をふって、それに応えていた。
「いやはや、それにしても」
手をふるのに疲れたのか、バシュレ侯爵は両手で手綱を持ち直し、マリウスに話しかけてくる。
「今回は、陛下からの恩賞も期待できますな」
「ええ」
マリウスは曖昧にうなずいた。
バシュレ侯爵とマリウスは、一番にダナティア城下に攻め入った。交戦のきっかけをつくった二人の功績は大きい。一番に敵陣に攻め入った者は多大な戦功を認められ、多くの恩賞が与えられるのが常だった。
「にしては浮かぬ顔ですな、オードラン公爵」
「そうですか?」
マリウスは首を傾げてほほ笑む。
「だが憂い顔は、黄金の獅子と呼ばれる貴方様には似合いませぬぞ」
バシュレ侯爵は、腹の底から陽気な声を出して笑った。
黄金の獅子とは、緩く弧を描きながら、うなじを隠して肩まで流れる明るい色の金髪と、領土拡大のため戦を続けるダルバード帝国に属する将たちの中でも、特に武勲目覚ましいことから、マリウスにつけられた渾名である。マリウス自身は嫌っているのだが、陰で嫉妬やねたみをこめて、またマリウスのことを褒めそやすとき時、人人はそう呼ぶ。
「それはさてと、公爵様が気になされているのは、ジブリアン殿下とダナーンの王女殿下のことですかな」
「ええ、まあ」
マリウスは首を回して後ろを見た。
帝都に入城する帝国軍の列は、ずっと後ろまで続いている。マリウスは、凱旋する帝国軍の行列の先頭付近にいた。大門から宮殿まで真っ直ぐに続く道を中ほどまで進んだが、行列の後部にいる兵ははまだ、入門すらできていないだろう。
ダナティアから連れてきた王女と、彼女に仕える侍女の乗る荷馬車は、ずっと後ろにある。
今、マリウスの頭の中にあるのは、日日想いを深めあっていくジブリアンとダナーンの王女のことを、不安そうに見つめていた少女のことだけだった。
「たしかに、今までの陛下のなさりようを見ていると、ダナーンの王女殿下とジブリアン様のことをお許しになるとは思えませぬな」
「卿もそう思いますか」
「陛下は常に、攻め入った国の王族は根絶やしにされてきました。姫であれば、愛妾として後宮に召し上げられたこともございますが、臣下に下されたことは一度もございません。滅ぼされた国の血が残れば、後に禍根を残すこととなります。陛下のなされようは最もです。今回ばかりが例外とは言えないでしょうな」
「ええ」
主と引き離された時、命がけで主の名誉を守ろうとしたあの少女はどうなるのか。マリウスの心配はそれだけだった。
ダルバード帝国の宮殿につき、荷馬車がとまると、すぐさま荷馬車の後ろに四人の兵が寄ってきた。彼ら乱暴に荷馬車を下ろされ、シリアナとクローディアは、宮殿の奥まった場所にある塔に連れて行かれた。
両脇を兵士二人がかりで拘束され、長い螺旋階段を登る。次第に息が上がり、階段を登る脚が重くなってくる。最後は兵士に引きずられるようにして、階段を登りきる。
シリアナは顔を上げる。踊り場のように、少し広くなった場所にいた。
シリアナの前には、シリアナとと同じように、両脇を固める兵士に二の腕掴まれたクローディアがいた。
クローディアの向こうに、分厚そうなオークの両開きの扉と、その前に槍を持って立つ二人の兵士が見えた。
「バレ王家の生き残りを連れてきた」
クローディアの右脇にいる男が言った。
扉の前の兵たちは、はっと短く応え、閂を外して扉を開ける。
クローディアとシリアナは部屋の中に連れて行かれ、その場に投げ出される。
思わず数歩、勢い余って前に歩を進め、堪えきれずに二人同時に転ぶ。
クローディアが、きゃっと悲鳴を上げた。
「姫様」
急いで膝で進み、クローディアの側に寄る。
「お怪我はございませんか」
シリアナはクローディアの様子を確認し、伏したままになっているクローディアの体を抱え起こす。
シリアナの後ろで、扉が閉められ閂のはめられる音がした。
その音にクローディアがふり返る。
彼女はぱっと立ち上がると、扉の前まで駆けて行き、思い切り扉をたたいた。
「ここから出しなさい!!」
頑丈なオークの扉はびくともしない。扉の向こう側から応えはなかった。
「姫様、怪我をなさいます」
シリアナはクローディアの斜め後ろ立って、クローディアの手首をつかんだ。
クローディアは動きを止めてふり返る。鳶色の瞳は涙で潤んでいた。
「でもシリアナ、ジブリアン様は、私を妻に迎えるって、おしゃってくださったのよ……」
「きっとすぐにそうなります」
シリアナはクローディアの肩をつかみ、自分の方へ向き直らせる。
クローディアはシリアナに抱きつき、頭をシリアナの肩に預けて、わっと泣き出した。
シリアナはクローディアの体を抱きとめると、なだめるようにその華奢な背中をたたいた。
クローディアは泣くがままにし、首を巡らせ部屋の中を見まわす。
鉄格子のはまった窓の下に、人が一人寝るのがやっとの広さの粗末な寝台が置かれている。
その横に、背の低い荒木の卓子と、古びた布張りの長椅子が置かれていた。
窮屈だが、毛布を巻きつけて、肘かけを枕に、膝を小さく折り曲げれば、長椅子の上で眠れるだろう。
幽閉の身には変わりないが、連れてこられたのが、日の光の当たらない、じめじめと湿った地下牢ではなくてよかったと、シリアナは思った。
帝都に凱旋してから数日後、主だった家臣とダナーン攻めに参加した将たちが、謁見の間に勢ぞろいしていた。
「バシュレ侯爵、オードラン公爵前へ」
皇帝の座る玉座の隣に立った侍従長が呼ぶ。
隣り合って立つ二人は互いに顔を見合わせ、数歩前に進むと、玉座の前で膝をついた。
「卿らのこたびの働き見事であった」
皇帝の、低く朗朗とした声が、謁見の間に重重しく響く。
マリウスは身を引き締め、バシュレと共に、ありがたきお言葉、と返答した。
侍従長、と皇帝は促した。侍従長は手にしていた羊皮紙の巻物開き、読み上げる。
「オードラン公爵、そなたは果敢にも一番にダナティアに攻め込んだ。また城門を一番に突破したバシュレ侯爵の働きがなければ、オードラン公爵の勇敢な働きも徒労に終わっただろう。よって両名に褒美を取らせる。望みの品があるのであれば、この場で申すがよい」
マリウスは隣のバシュレを見て、先に言うよう無言で促した。バシュレ侯爵は、陛下より直接お言葉をいただけましただけでも幸いです。それ以上を望むとは恐れ多いこと、と言って、丁重に固辞した。
後日、陛下より沙汰があるだろうと侍従長が言う。
今日は、ダナティア攻めの労をねぎらうためと、主だった家臣たちが宮殿に集められた。
この場で一番に呼ばれたとは、ダナティア攻めについて、一番の功労者だと認められているということだ。多くの兵はまだダナーンに残り、今回新たに得た領地の支配権を確固たるものとするため、ダナーン各地に散らばった貴族たちの一掃に努力している。ダナーン攻めについて、事後処理はしばらく続くが、落ちついた頃に、バシュレとマリウスには、それなりの恩賞が与えられることは確実だった。
「オードラン公爵はいかがか」
侍従長が、マリウスに声をかける。
マリウスは、はっと短く返事をして言葉を続けた。
「お許しをいただけますなら、本日は陛下に一つお願いがございます」
皇帝が侍従長に耳打ちする。侍従長は、許すと皇帝の応えを伝えてくる。
「今、北の塔に幽閉されているバレ王家の姫に仕える侍女を、私の妻としていただけないでしょうか」
広間の中がざわめいた。
隣り合う人人は互いに視線を交わし、なぜ、と疑問を口にする。
兄が死に、オードラン公爵家の当主に納まってから六年。周囲はしきりに結婚を勧めてきたが、マリウスが首を縦に振ることは一度もなかった。
皇帝は脚を組むと肘かけに片肘をつき、握った手の上に顎を載せて少し考える。
「近頃便りがないが、コレットは息災か」
皇帝直直に訊ねられる。コレットとは亡くなった兄クロヴィスの妻であり、皇帝の愛娘だ。兄が亡くなって以来、兄の忘れ形見のエリクと共に、オードラン公爵領で静かに暮らしている。
「はい。義姉上は我が領地で、私の甥エリクとともに穏やかに過ごされていらっしゃいます」
「ならばよい。そなたの申し出を許そう。ただし条件がある。そなたの婚儀に先立ち、甥のエリクをそなたの養子とし、オードラン公爵家の正式な跡取りと定めること。よいか」
「我が願いをお許しいただき、感謝いたします。承知いたしました」
マリウスはその場に深く頭を下げた。
「それはそうとジブリアン、ダナティア攻めの時、そなたは何をしておった」
マリウスとバシュレのことはそのままに、皇帝は臣下の列の中にいる自らの息子に呼びかけた。
ジブリアンはびくりと体を揺らす。
「聞いたところによると、多くの兵が命を懸けて戦う中、安全な天幕の中に大人しく引きこもっていたそうだな」
ジブリアンはうつむき、もごもごとと口を開く。
「――総大将がいなくなれば、軍勢は一気に乱れます。それに、戦の最中には総大将の指揮が必要になることもございます。その為私は、天幕の中に……」
「黙れ」
皇帝が一喝する。
「ダナティア攻めの作戦も、ここにいるオードラン公爵とバシュレ侯爵が立てたものだというではないか。そんなそなたに何ができると言う。挙句、バレ王家の生き残りの小娘に熱を上げおって。小娘がそなたを籠絡し、帝国に仇なさんと企てていたらどうする」
「父上、そのようなことはございません。クローディアは素直で心優しい女性です。私と愛を誓い合い、共に生きると約束してくれました」
「馬鹿が。それが女の手口だとどうしてわからぬ。だが、バレ王家の生き残りの小娘は、可憐で美しい女だと聞いた。そなたが心乱されるのもわからぬわけではない」
「では父上、私とクローディアの結婚を許して下さるのですか」
ジブリアンがはっと顔を上げる。その顔には、期待と不安に満ちた笑みが浮かんでいた。
息子の問いを、皇帝はふん、と鼻で笑った。
「愛だの恋だの夢に現つをぬかす軟弱者が。そなたには、宮殿の奥で黴臭い書物と向き合って、日がな一日無為に時を過ごすのが似合っておる」
「お言葉ですが父上、書物には過去から現在、多くの偉人や賢者の言葉や考えてが記されております。それを読み理解することで思索が深まる。書物に親しむことが無駄なことだとは、納得できません」
「ではなぜそなたには、わしが与えた軍勢を指揮することができぬ。書物が思索を深めると言うのであれば、軍勢の一つや二つ臣下に任せずとも指揮できるであろう。現実に活かせぬ知識など何の役に立つ」
「学問とは、実際に役立つだけのものでは……」
「黙れ。ここにいるオードラン公爵とバシュレ侯爵が書物に親しんでいないとでもいうのか? そなたの言う学問に無知であると?」
「――それは……」
ジブリアンが言いよどむ。マリウスとバシュレの二人は共に、帝都から程遠くない、喧騒から離れた郊外に居を構える、現代の大学者と呼ばれるバルテレミーの主催する教室へ出入りすることが認められていた。
「そなたの言う学問などその程度のものよ。何の役にも立たぬ。役に立たぬなら立たぬでよいが、それをあたかも役立つものかのように吹聴するでない」
皇帝は脚を組み直し、両肘を肘かけの上に載せると、組んだ両手の上に顎を置いた。
「まあ、よい。幸いこの国には有能は臣下もいる。お前が高尚な趣味にふけっている間、国のことは彼らに任せておけばいいだろう。それより、バレ王家の生き残りの小娘は美しいそうだな。わしの側室としよう」
「父上、それだけはおやめください!!」
ジブリアンは叫び、よろよろと前に足を踏み出す。
「誰か、連れて行け」
皇帝が言うと、壁際に控えていた衛兵がさっと前に出て、ジブリアンに駆け寄り、ジブリアンのことを両脇から拘束した。
「父上、どうかお願いです。お考え直しください」
衛兵に引きずられて謁見の間を後にしながら、ジブリアンは必死で叫んでいた。
二階以上の窓からは、人人が身を乗り出し、下を行く帝国軍に歓声を浴びせる。
帝都の目抜き通りの両脇には、大勢の人たちが集まり、満面の笑みで帰ってきた兵士たちに手をふる。
帝都に入ると、市民の大歓迎を受けた。
馬上のマリウスはにこやかに笑い、それに応える。
隣を行くバシュレ侯爵は、沿道に集まる人人に手をふって、それに応えていた。
「いやはや、それにしても」
手をふるのに疲れたのか、バシュレ侯爵は両手で手綱を持ち直し、マリウスに話しかけてくる。
「今回は、陛下からの恩賞も期待できますな」
「ええ」
マリウスは曖昧にうなずいた。
バシュレ侯爵とマリウスは、一番にダナティア城下に攻め入った。交戦のきっかけをつくった二人の功績は大きい。一番に敵陣に攻め入った者は多大な戦功を認められ、多くの恩賞が与えられるのが常だった。
「にしては浮かぬ顔ですな、オードラン公爵」
「そうですか?」
マリウスは首を傾げてほほ笑む。
「だが憂い顔は、黄金の獅子と呼ばれる貴方様には似合いませぬぞ」
バシュレ侯爵は、腹の底から陽気な声を出して笑った。
黄金の獅子とは、緩く弧を描きながら、うなじを隠して肩まで流れる明るい色の金髪と、領土拡大のため戦を続けるダルバード帝国に属する将たちの中でも、特に武勲目覚ましいことから、マリウスにつけられた渾名である。マリウス自身は嫌っているのだが、陰で嫉妬やねたみをこめて、またマリウスのことを褒めそやすとき時、人人はそう呼ぶ。
「それはさてと、公爵様が気になされているのは、ジブリアン殿下とダナーンの王女殿下のことですかな」
「ええ、まあ」
マリウスは首を回して後ろを見た。
帝都に入城する帝国軍の列は、ずっと後ろまで続いている。マリウスは、凱旋する帝国軍の行列の先頭付近にいた。大門から宮殿まで真っ直ぐに続く道を中ほどまで進んだが、行列の後部にいる兵ははまだ、入門すらできていないだろう。
ダナティアから連れてきた王女と、彼女に仕える侍女の乗る荷馬車は、ずっと後ろにある。
今、マリウスの頭の中にあるのは、日日想いを深めあっていくジブリアンとダナーンの王女のことを、不安そうに見つめていた少女のことだけだった。
「たしかに、今までの陛下のなさりようを見ていると、ダナーンの王女殿下とジブリアン様のことをお許しになるとは思えませぬな」
「卿もそう思いますか」
「陛下は常に、攻め入った国の王族は根絶やしにされてきました。姫であれば、愛妾として後宮に召し上げられたこともございますが、臣下に下されたことは一度もございません。滅ぼされた国の血が残れば、後に禍根を残すこととなります。陛下のなされようは最もです。今回ばかりが例外とは言えないでしょうな」
「ええ」
主と引き離された時、命がけで主の名誉を守ろうとしたあの少女はどうなるのか。マリウスの心配はそれだけだった。
ダルバード帝国の宮殿につき、荷馬車がとまると、すぐさま荷馬車の後ろに四人の兵が寄ってきた。彼ら乱暴に荷馬車を下ろされ、シリアナとクローディアは、宮殿の奥まった場所にある塔に連れて行かれた。
両脇を兵士二人がかりで拘束され、長い螺旋階段を登る。次第に息が上がり、階段を登る脚が重くなってくる。最後は兵士に引きずられるようにして、階段を登りきる。
シリアナは顔を上げる。踊り場のように、少し広くなった場所にいた。
シリアナの前には、シリアナとと同じように、両脇を固める兵士に二の腕掴まれたクローディアがいた。
クローディアの向こうに、分厚そうなオークの両開きの扉と、その前に槍を持って立つ二人の兵士が見えた。
「バレ王家の生き残りを連れてきた」
クローディアの右脇にいる男が言った。
扉の前の兵たちは、はっと短く応え、閂を外して扉を開ける。
クローディアとシリアナは部屋の中に連れて行かれ、その場に投げ出される。
思わず数歩、勢い余って前に歩を進め、堪えきれずに二人同時に転ぶ。
クローディアが、きゃっと悲鳴を上げた。
「姫様」
急いで膝で進み、クローディアの側に寄る。
「お怪我はございませんか」
シリアナはクローディアの様子を確認し、伏したままになっているクローディアの体を抱え起こす。
シリアナの後ろで、扉が閉められ閂のはめられる音がした。
その音にクローディアがふり返る。
彼女はぱっと立ち上がると、扉の前まで駆けて行き、思い切り扉をたたいた。
「ここから出しなさい!!」
頑丈なオークの扉はびくともしない。扉の向こう側から応えはなかった。
「姫様、怪我をなさいます」
シリアナはクローディアの斜め後ろ立って、クローディアの手首をつかんだ。
クローディアは動きを止めてふり返る。鳶色の瞳は涙で潤んでいた。
「でもシリアナ、ジブリアン様は、私を妻に迎えるって、おしゃってくださったのよ……」
「きっとすぐにそうなります」
シリアナはクローディアの肩をつかみ、自分の方へ向き直らせる。
クローディアはシリアナに抱きつき、頭をシリアナの肩に預けて、わっと泣き出した。
シリアナはクローディアの体を抱きとめると、なだめるようにその華奢な背中をたたいた。
クローディアは泣くがままにし、首を巡らせ部屋の中を見まわす。
鉄格子のはまった窓の下に、人が一人寝るのがやっとの広さの粗末な寝台が置かれている。
その横に、背の低い荒木の卓子と、古びた布張りの長椅子が置かれていた。
窮屈だが、毛布を巻きつけて、肘かけを枕に、膝を小さく折り曲げれば、長椅子の上で眠れるだろう。
幽閉の身には変わりないが、連れてこられたのが、日の光の当たらない、じめじめと湿った地下牢ではなくてよかったと、シリアナは思った。
帝都に凱旋してから数日後、主だった家臣とダナーン攻めに参加した将たちが、謁見の間に勢ぞろいしていた。
「バシュレ侯爵、オードラン公爵前へ」
皇帝の座る玉座の隣に立った侍従長が呼ぶ。
隣り合って立つ二人は互いに顔を見合わせ、数歩前に進むと、玉座の前で膝をついた。
「卿らのこたびの働き見事であった」
皇帝の、低く朗朗とした声が、謁見の間に重重しく響く。
マリウスは身を引き締め、バシュレと共に、ありがたきお言葉、と返答した。
侍従長、と皇帝は促した。侍従長は手にしていた羊皮紙の巻物開き、読み上げる。
「オードラン公爵、そなたは果敢にも一番にダナティアに攻め込んだ。また城門を一番に突破したバシュレ侯爵の働きがなければ、オードラン公爵の勇敢な働きも徒労に終わっただろう。よって両名に褒美を取らせる。望みの品があるのであれば、この場で申すがよい」
マリウスは隣のバシュレを見て、先に言うよう無言で促した。バシュレ侯爵は、陛下より直接お言葉をいただけましただけでも幸いです。それ以上を望むとは恐れ多いこと、と言って、丁重に固辞した。
後日、陛下より沙汰があるだろうと侍従長が言う。
今日は、ダナティア攻めの労をねぎらうためと、主だった家臣たちが宮殿に集められた。
この場で一番に呼ばれたとは、ダナティア攻めについて、一番の功労者だと認められているということだ。多くの兵はまだダナーンに残り、今回新たに得た領地の支配権を確固たるものとするため、ダナーン各地に散らばった貴族たちの一掃に努力している。ダナーン攻めについて、事後処理はしばらく続くが、落ちついた頃に、バシュレとマリウスには、それなりの恩賞が与えられることは確実だった。
「オードラン公爵はいかがか」
侍従長が、マリウスに声をかける。
マリウスは、はっと短く返事をして言葉を続けた。
「お許しをいただけますなら、本日は陛下に一つお願いがございます」
皇帝が侍従長に耳打ちする。侍従長は、許すと皇帝の応えを伝えてくる。
「今、北の塔に幽閉されているバレ王家の姫に仕える侍女を、私の妻としていただけないでしょうか」
広間の中がざわめいた。
隣り合う人人は互いに視線を交わし、なぜ、と疑問を口にする。
兄が死に、オードラン公爵家の当主に納まってから六年。周囲はしきりに結婚を勧めてきたが、マリウスが首を縦に振ることは一度もなかった。
皇帝は脚を組むと肘かけに片肘をつき、握った手の上に顎を載せて少し考える。
「近頃便りがないが、コレットは息災か」
皇帝直直に訊ねられる。コレットとは亡くなった兄クロヴィスの妻であり、皇帝の愛娘だ。兄が亡くなって以来、兄の忘れ形見のエリクと共に、オードラン公爵領で静かに暮らしている。
「はい。義姉上は我が領地で、私の甥エリクとともに穏やかに過ごされていらっしゃいます」
「ならばよい。そなたの申し出を許そう。ただし条件がある。そなたの婚儀に先立ち、甥のエリクをそなたの養子とし、オードラン公爵家の正式な跡取りと定めること。よいか」
「我が願いをお許しいただき、感謝いたします。承知いたしました」
マリウスはその場に深く頭を下げた。
「それはそうとジブリアン、ダナティア攻めの時、そなたは何をしておった」
マリウスとバシュレのことはそのままに、皇帝は臣下の列の中にいる自らの息子に呼びかけた。
ジブリアンはびくりと体を揺らす。
「聞いたところによると、多くの兵が命を懸けて戦う中、安全な天幕の中に大人しく引きこもっていたそうだな」
ジブリアンはうつむき、もごもごとと口を開く。
「――総大将がいなくなれば、軍勢は一気に乱れます。それに、戦の最中には総大将の指揮が必要になることもございます。その為私は、天幕の中に……」
「黙れ」
皇帝が一喝する。
「ダナティア攻めの作戦も、ここにいるオードラン公爵とバシュレ侯爵が立てたものだというではないか。そんなそなたに何ができると言う。挙句、バレ王家の生き残りの小娘に熱を上げおって。小娘がそなたを籠絡し、帝国に仇なさんと企てていたらどうする」
「父上、そのようなことはございません。クローディアは素直で心優しい女性です。私と愛を誓い合い、共に生きると約束してくれました」
「馬鹿が。それが女の手口だとどうしてわからぬ。だが、バレ王家の生き残りの小娘は、可憐で美しい女だと聞いた。そなたが心乱されるのもわからぬわけではない」
「では父上、私とクローディアの結婚を許して下さるのですか」
ジブリアンがはっと顔を上げる。その顔には、期待と不安に満ちた笑みが浮かんでいた。
息子の問いを、皇帝はふん、と鼻で笑った。
「愛だの恋だの夢に現つをぬかす軟弱者が。そなたには、宮殿の奥で黴臭い書物と向き合って、日がな一日無為に時を過ごすのが似合っておる」
「お言葉ですが父上、書物には過去から現在、多くの偉人や賢者の言葉や考えてが記されております。それを読み理解することで思索が深まる。書物に親しむことが無駄なことだとは、納得できません」
「ではなぜそなたには、わしが与えた軍勢を指揮することができぬ。書物が思索を深めると言うのであれば、軍勢の一つや二つ臣下に任せずとも指揮できるであろう。現実に活かせぬ知識など何の役に立つ」
「学問とは、実際に役立つだけのものでは……」
「黙れ。ここにいるオードラン公爵とバシュレ侯爵が書物に親しんでいないとでもいうのか? そなたの言う学問に無知であると?」
「――それは……」
ジブリアンが言いよどむ。マリウスとバシュレの二人は共に、帝都から程遠くない、喧騒から離れた郊外に居を構える、現代の大学者と呼ばれるバルテレミーの主催する教室へ出入りすることが認められていた。
「そなたの言う学問などその程度のものよ。何の役にも立たぬ。役に立たぬなら立たぬでよいが、それをあたかも役立つものかのように吹聴するでない」
皇帝は脚を組み直し、両肘を肘かけの上に載せると、組んだ両手の上に顎を置いた。
「まあ、よい。幸いこの国には有能は臣下もいる。お前が高尚な趣味にふけっている間、国のことは彼らに任せておけばいいだろう。それより、バレ王家の生き残りの小娘は美しいそうだな。わしの側室としよう」
「父上、それだけはおやめください!!」
ジブリアンは叫び、よろよろと前に足を踏み出す。
「誰か、連れて行け」
皇帝が言うと、壁際に控えていた衛兵がさっと前に出て、ジブリアンに駆け寄り、ジブリアンのことを両脇から拘束した。
「父上、どうかお願いです。お考え直しください」
衛兵に引きずられて謁見の間を後にしながら、ジブリアンは必死で叫んでいた。